2000年より始まったMARVELコミックスが原作の映画「X-MEN」シリーズ。そして、コミックスでも映画でも人気を誇るキャラクターのウルヴァリンを主役に迎えたスピンオフ映画「ウルヴァリン」シリーズ。ある意味で両者の終着点ともいえる映画『LOGAN ローガン』が2017年6月1日に日本でも公開されました。
しかし、この映画は私にとって深い傷を負うことになる、心底辛い映画だったのです。
・ウルヴァリンが好きな人
・ウルヴァリンが超好きな人
・ウルヴァリンに憧れた人
〈X-1〉ウルヴァリンに出会えてよかった
00年を迎えて初めてX-MENが映画化されることを知った当時の私にとっては、まさに夢のような話でした。友達の家で毎日のように遊んだ格闘ゲームで知っていたあのX-MENがついに映画になる!しかも実写で!と……。
皆さんにとっての”映画の魅力”って何ですか?
私にとっての映画の魅力とはとても単純なものです。
それは、現実にはありえないであろう世界を垣間見ることができる!ということです。
現実にはありえないからこそ、映画の中では役者が演じる本物の人間と非現実的な存在や世界が共存しているということに胸を躍らせ、夢中になれる!だから映画が大好きだし、それが一番の魅力だと今でも思っています。
X-MENの実写映画化に対する当時の私の期待というのもソコにありました。
「本物のX-MENに会える!ウルヴァリンやサイクロプスに会える!」
私は平成元年生まれですから、当時は小学生でした。その頃に初めてTVで映画『X-メン』の予告編を観た時のことを今でも覚えています。
黒いレザージャケットを身にまとい、狼のように髪を逆立て、眉間にシワをよせ、両拳から3本の爪を生やした男に初めて出会った瞬間でした…
「俺の知っているウルヴァリンがいる!」
TVから目が離せませんでした。たった1分、もしくは数秒のCMの中の、ほんの一瞬のウルヴァリンの姿をみて笑顔が戻せなくなったのです。
当時は役者の名前なんて認知してはいませんでしたが、ヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリンは、まさに格闘ゲームやコミックスの絵で知っていたウルヴァリンそのままで、彼は本当に現実の世界にいる存在なのだと錯覚させるほど完璧でした。
それからというもの、劇場に映画を観に行ける日までは毎日のようにTVに張りつき、両親に『X-メン』のCMが流れている時は必ず教えてもらい、ずっとずっとCMの中のX-MENとウルヴァリンに夢中になっていました。
当時は一人一台どころか一家に一台のパソコンなんてありませんでしたからね。もちろんYoutubeなんてものもないのです。だから映画の予告編が観たければTVに張りつくかCMをビデオテープに録画して観るしかありませんでした。
〈X-2〉ローガンという人物の物語
基本的なことですが、『LOGAN ローガン』というタイトルはウルヴァリンの名称でもあります。本名はジェームズ・ハウレット(この名前も覚えておくといいですね。)なのですが、過去に彼が受けた人体実験の後遺症により記憶を失ってからは”ローガン”という通称で一般的にも知られています。
ちなみに”ウルヴァリン”というのはX-MENというチームの中でのコードネームになります。
『LOGAN ローガン』のタイトルがこれまでのように”ウルヴァリン”でないのは、彼をX-MENの中のヒーローとしてではなく、一人の人間として描いた作品であるからに他なりません。
では、『LOGAN ローガン』という作品の中の主人公”ローガン”とは一体どんな人物なのでしょうか?
かつてX-MENのメンバーの一人だった”ウルヴァリン”ではなくなったローガンという人物とは…?
〈X-3〉不死身の身体に背負わされたもの
そもそもウルヴァリンことローガンの持つミュータント能力を御存知でしょうか?
ただ単に鋼鉄の爪を生やすことができるだけではありません。むしろあの爪は人体実験により埋め込まれたものであって、本来彼の持つ能力ではないんですよね。
元々、ローガンに備わっている能力とは動物のように優れた感覚神経と、アダマンチウムの爪ではなく自らの骨を武器として拳から生やすことができる能力。そして、“ヒーリング・ファクター”と呼ばれる超回復能力です。
どれだけ身体に傷を負ってもすぐに治り、歳もとらなければ死ぬこともありません。だからその能力に目を付けた連中が彼の骨格のすべてを”アダマンチウム“という一度固まると破壊できない最強の合金に代えたのです。
普段、アダマンチウムの爪は拳の中にしまわれていますから、拳から爪を出す時は体内を切り裂いて出てきているので痛みも伴います。つねに戦いの中で生きてきたローガンにとっての人生は、まさに痛みとの共存でした。
ヒーリング・ファクターにより生まれながらにして不死身の身体を手に入れてしまったローガンは、だからこその孤独の人生を歩んできています。
不死身のミュータントゆえにいつの時代にも戦場に駆り出され、何度も仲間の死を経験し、不死身ゆえに愛する人との死からも逃れられず……。挙句の果てには人体実験により記憶も失い、自分が誰かも分からないまま何十年と生きてきています。
いつしか孤独でいることが普通になり、それが自分の運命でもあると悟ったかのような彼の生き方は、チャールズ・エグゼビアという人物との出会い、そしてX-MENとの出会いで大きく変わっていくのでした。
〈X-4〉映画『LOGAN ローガン』を観るにあたって…
冒頭で書いたように映画『LOGAN ローガン』は私にとって心底辛い映画です。
しかし、それは決して悪い意味ではありません。
かつてX-MENのウルヴァリンとして無敵のミュータントを誇ったローガンという人物の物語の終着点としてあまりにもよくできていたからこそ、小学生の時に初めて出会ったあの日から応援してきた身としては辛いものだったのです。
だからといって「じゃあ、X-MENのことを知らないと面白くないんじゃないの?」とか「『LOGAN ローガン』は観たいけど、これまでのシリーズを観なきゃダメ?」と思う人もいるでしょう…
そんな必要はありません!!
この映画はあくまでローガンという人物の物語なので、ある意味X-MENとは切り離して観ていただいて大丈夫です。
とはいえ、もちろんこれまでのシリーズを観ておくと世界観に広がりはでますし、なによりローガンではなくウルヴァリンの頃の姿を知ることができるので、「X-MEN」シリーズを観ておいて損はないということはお伝えしておきますね。
〈X-5〉『LOGAN ローガン』の世界からみるローガンの背中
映画『LOGAN ローガン』はミュータントが絶滅したあとの2029年の世界が舞台です。そこではX-MENの存在も過去にしかすぎません。
唯一生き残っているミュータントはローガンと、X-MENの創始者であり最強の頭脳を持つチャールズ・エグゼビア。そして今回新たに登場するキャリバンという人物。彼は自分以外のミュータントの存在を感知することができるという能力を持っています。
かつて悩めるミュータント達を救いに導く存在であり、”プロフェッサーX”と呼ばれたチャールズ・エグゼビアもこの時代には年老いて弱り、時おり発作を起こしてはミュータント能力を発揮してしまう為に危険が伴うので、ローガンとキャリバンが付きっきりで介護をしている状態です。
孤独の中で生きてきたローガンにとっての唯一の理解者であり親友でもあったチャールズが日に日に弱りはてていく姿というのものは、観客である私達にとっても見ていて辛いものがあります。
ローガンからすれば、かつて窮地を共にしたX-MENの仲間達も既に死んでしまい、誰に頼ることもできず、結局また孤独の人生に戻ってしまった未来の世界ですが、それでもチャールズの存在は心の支えに変わりはありません。
だからこそ自らに危険が伴っても、ローガンは決してチャールズを見捨てることはせずに寄り添い続けたのです。
2029年。世界は荒れ果て、チャールズやX-MENが求めた「人類とミュータントの共存」も叶うことなくミュータントは絶滅に追い込まれた未来。人間からの差別や迫害を受けながらも、何度も手を差し伸べてきたミュータント達とチャールズ・エグゼビアやローガンの成れの果てが描かれる未来……。
ローガンは、唯一の理解者であり家族ともいえるチャールズを介護しながらも、やはりその姿を見るのは辛いのか酒浸りになる毎日に…。気づけば自分もアルコール中毒に陥り、ついに自身のミュータント能力(ヒーリング・ファクター)までも失いつつあることに気づきます。
ローガンにとって不死身であることは良いことばかりではなく、むしろ、愛する者が自分よりも先に死んでいく人生を何度も経験し、身体の傷はすぐに癒えても、心の傷は癒えることがありませんでした。
ローガンにとっての不死身という運命は孤独との戦いであり、自身が死ねないからこそ人の死を背負って生きていくというものなのです。
そんな彼の人生もついに終わりを迎えようとしています。
やっと死ねる。いつでも死ねる。
結局、俺には孤独が性に合っている。
決して先は長くないチャールズと共に海の上の船で暮らし、チャールズが死んだら自分も死のう。
何十年も痛みと戦いの中で生きてきた。
もういいじゃないか。
最後くらい静かに暮らさせてくれ。
こんな思いがローガンの背中からはヒシヒシと伝わります。
映画『LOGAN ローガン』の世界のローガンは明らかに戦いに疲れ、生きることに疲れています。
無敵の強さを誇り、実質X-MENのリーダーとして戦ってきたウルヴァリンの名の裏では、死ぬこともできずに孤独の中で戦ってきたローガンの名がありました。
2029年という残酷な未来の世界でついに死ぬことが許されたローガンは孤独の人生で終わると思っていた中である人物と出会い、そこで何を選択し、どう生きるのでしょうか?
<ありがとう、ウルヴァリン>
小学生の頃に初めてヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリンに出会い、映画「X-MEN」シリーズにハマりました。賛否両論はあるかと思いますが、私はあのシリーズのすべてが大好きです。
それは間違いなく「X-MEN」という作品を象徴するキャラクターであるウルヴァリンがあまりにも完璧に実写化されていたからに他なりません。
映画のシリーズが波に乗っている頃、私は中学生だったと思いますが、当時親から貰っていたお小遣いは1500円でした。そのお小遣いの中で新潮社から出ていたアメリカンコミックの翻訳版「アルティメット: X-MEN」(当時は1冊1000円ちょっとだったと思います。)を毎月1冊買い、塾の自習室で読んでいたことを思い出します。
それからお年玉では映画のシリーズ第一作『X-メン』のDVDを買い、繰り返し何度も観ていました。
コミックの中でも映画の中でも強かったウルヴァリン。頼りにはなるけれど、X-MENのメンバーからはちょっと煙たがられたりしながらも守るべき仲間は必ず守り、自分の道理を曲げることなく守り抜くという彼の姿勢には憧れました。
気づけば私も大人になりました。小学生の頃をはじめとして、まさかこの歳(30手前です。)になってからも劇場のスクリーンでヒュー・ジャックマンのウルヴァリンに会えるとは思っていませんでした。そのせいもあってか、私の映画人生においてウルヴァリンがいることは当たり前のようになってしまっていたのかもしれません。
私は『LOGAN ローガン』を観て、改めてヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリンがいてくれたことの大切さを知った気がします。そして、この映画のおかげでウルヴァリンの人生について考え、ローガンの人生について考え、初めて出会った頃の思い出を蘇らせることができました。
本当はもっと内容の核心に踏み込んだ記事を書きたかったのですが、ネタバレの危険性と、より多くの人に観てもらいたいという気持ちを込めて、私なりに映画『LOGAN ローガン』に興味を持って頂けるような記事を書いたつもりです。
私が劇場で観てから、この記事を執筆し終わるまで三日ほど経ったでしょうか…。
今でも私の脳裏にはローガンの最後のまなざしが焼き付いて離れません。

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