こんにちは、こめこです。ここのところ花粉症や低気圧、自身の不甲斐なさと、モヤモヤすることがありすぎて鬱憤が溜まっております。
今回、卒業というテーマで、何ひとつ卒業できていない私は「卒業」についてツラツラと書かせていただこうと思いました。
・晴れて卒業したけど、モヤモヤして窓ガラスを割りたい人
・何かに、まだ卒業できていない人に
いつからか、読まなくなってしまった少女漫画
友人と私3人で映画『坂道のアポロン』鑑賞の約束をしたのを機に卒業したと思っていたコミックを“古いアルバムをめくり返すように”開いてみました。色恋がありつつも自分のアイデンティティを確立していくためにフラストレーションを演奏にぶつけていく話。
ーー当日、新しい上野の劇場 で友人と待ち合わせ。
劇場内は、スクリーンも椅子も大きくて、そこで流れた予告編は、ほぼ邦画で漫画原作か青春ものが多くて映画が始まるまでも3人仲良く並んでワクワク。
映画『坂道のアポロン』はクラシックとピアノが生きがいの孤独なおぼっちゃんだった男の子が、仲間に会ってジャズと恋に目覚めて青春をかけぬけ、大人になる話。
“物足りないぐらい” スッキリした青春の話『坂道のアポロン』
雰囲気はオープニングが全てで、オープニングは長崎の風景のセピアの写真が重なる中、ジャズが流れて最高にイカしてた。本当に漫画の世界に入り込んだみたいで、オープニングだけなら私は賞をあげたいくらいの勢い。
肝心のストーリーは、原作を読んでいた私にサッパリとしすぎで……。
原作にあるジトジトした部分を抜いた、きちんと「スッキリ青春」になっていて作中に流れるジャズもポピュラーな曲が多く、とても観やすかったけど、少し物足りなく感じました。
結局、はしご
その後、友人たちと立ち寄った上野の肉バル。「肉バル」と言いながら、カット野菜ばっかりで物足りず……。
私の気持ちは、むなしくて、頭の中で小田和正「坂道を上って」(『坂道のアポロン』エンディング曲)が流れ、座席を立つときに「カット野菜かよ!」とツッコミたくなるくらい映画のエンディングは、いまひとつ物足りずに終わったことを思い出した。
その後、「肉バル」が物足りなかったから、はしごをしたように、帰宅後は、映画をはしご。
悩んだときこそ、深みにハマろう『溺れるナイフ』
『坂道のアポロン』をきっかけに、好きだった少女漫画家をたどって惹き込まれるように、コミック「溺れるナイフ」へ。
すると、カッコつけなきゃやってられない自分を、鏡で見ているようで衝撃を受けた。
映画『溺れるナイフ』はというと、ところどころ原作コミックと違って『坂道のアポロン』同様に違った解釈をされそうな部分があって原作ファンは悩まされるところです。ただ、両方ともビジュアルは完璧に揃えてきててストーリーが原作コミックより、スッキリして観やすいように作られてるなーと。
結局、卒業というのは…
どちらの話の映画も漫画も結末は
ーーそれが結局、卒業というものじゃないかと私は作品を通して思いました。
いろんなものが重くなってしまったときに、その重荷を鎮めるように重い話を読んで深みにハマっていくタイプの私に贈るアンサーが少女漫画にあるとは、まさか思いもよらなかったです。
ひとりにならないために、友情は一生モノ
映画『坂道のアポロン』で、私がほんのり良かったと思ったところは
「友情は一生モノ」
と恥ずかしげもなく言っちゃうところ。
「友情は一生モノだね」と素直に思える友達と気軽に観てほしいと思いました。
忌々しい坂道のような悩みも、くだらない友人との会話や音楽を思い出したら駆け上がれるかもしれない。
卒業した方も、そうでない方も、
たとえば、目標が高すぎて深みにハマったりして、自分一人の考えに翻弄されてしまいそうになった時には友達と楽しく過ごしていたサッパリした日々を思い出してみてほしいです。

(C) 2018 映画「坂道のアポロン」製作委員会 (C) 2008 小玉ユキ/小学館
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